2012年に京都で初演を迎えたパフォーマンス作品「ENIGMA」。その後、時間と場所を変える ごとに、「眠り」「分身」「拡張」「乖離」「境界」とテーマを更新して上演を行ってきた 「ENIGMA PROJECT」。タイトルの「ENIGMA=エニグマ」は、ギリシア語「ainigma=謎め いた言葉」を語源に持ち、英語で「謎」や「不可解なこと」を意味し、第二次世界大戦中にナ チス・ドイツによって開発されたローター式暗号機の名前としても用いられました。
ENIGMA 2020
Work In Progress Showing
ー 眠りから境界へ ー
羅針盤
Control + Space
変換
PCR検査 陽性/陰性
都市との関わりを変える必要があります。
リモート、ソーシャルディスタンス、ニューノーマル。
包まれる内側、穴とつながる外。
ほら、見えるもの、聞こえるもの、
傾向が変わってきた。
そうね、靴のかかとのすり減り方とか…
進化の先験的サンプル。
揺れながら行先を示す針。
この針穴がまた同じ大きさになった時に、
また会いましょう。
- 演出/ダンス:小池 陽子
- 音楽:山中 透
- ドラマ トゥルク:内海 潤也
- 映像制作 / 配信プロディース:竹内 祥訓
- 映像プログラミング:Kazumasa HIEI
- 写真撮影:Katsuhiro Funabashi
- ▷会場 : SHIBAURA HOUSE Tokyo
- ▷日程 : 2020年11月20日
- ▷主催:ENIGMA PROJECT
ENIGMA 2020
Work In Progress Showing
ー 眠りから境界へ ー
羅針盤
Control + Space
変換
PCR検査 陽性/陰性
都市との関わりを変える必要があります。
リモート、ソーシャルディスタンス、ニューノーマル。
包まれる内側、穴とつながる外。
ほら、見えるもの、聞こえるもの、
傾向が変わってきた。
そうね、靴のかかとのすり減り方とか…
進化の先験的サンプル。
揺れながら行先を示す針。
この針穴がまた同じ大きさになった時に、
また会いましょう。
- 演出/パフォーマンス:小池 陽子
- 音楽:山中 透
- ドラマトゥルク:内海 潤也
- 映像制作 / 配信プロディース:竹内 祥訓
- 映像プログラミング:Kazumasa HIEI
- 写真撮影:Katsuhiro Funabashi
- ▷会場 : SHIBAURA HOUSE Tokyo
- ▷日程 : 2020年11月20日
- ▷主催:ENIGMA PROJECT
- 演出/振付:小池 陽子
- 音楽:山中 透
- ドラマ トゥルク:Shinya-b
- “FUKUOKA DANCE FRINGE FESTIVAL”
- "Seoul International Choreography Festival"
- 演出/振付:小池 陽子
- 音楽:山中 透
- ドラマ トゥルク:Shinya-b
- “FUKUOKA DANCE FRINGE FESTIVAL”
- "Seoul International Choreography Festival"
《2012年上演テキスト》
眠りの幻覚が姿を現す
何かが私を苛立たせる
思考回路が膨張し、
意識が放電する
目覚めないために
私は眠らない
《2013年上演テキスト》
ヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)によって、誰もがデジタルサイボーグに変身し、変身することができる。分身や合体さえ可能なSFのような世界が現実になりつつある。そう遠くない未来、私たちは身体とは何か、能力とは何か、人間性とは何か、自己とは何かという問いに直面するだろう。人生とは、個人が社会に主体的な行為をもたらすことができる範囲だ。テクノロジーによってその範囲が広がることで、社会との関わり方が変わり、「人間とは何か」の定義も変わるのではないだろうか。
未来のことはわからない。しかし、個人と社会がどのように絡み合い、どこに向かっていくのかを考えることはできる。今、私たちはどのような未来を思い描くことができるのだろうか。
《2012年上演テキスト》
眠りの幻覚が姿を現す
何かが私を苛立たせる
思考回路が膨張し、
意識が放電する
目覚めないために
私は眠らない
《2013年上演テキスト》
ヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)によって、誰もがデジタルサイボーグに変身し、変身することができる。分身や合体さえ可能なSFのような世界が現実になりつつある。そう遠くない未来、私たちは身体とは何か、能力とは何か、人間性とは何か、自己とは何かという問いに直面するだろう。人生とは、個人が社会に主体的な行為をもたらすことができる範囲だ。テクノロジーによってその範囲が広がることで、社会との関わり方が変わり、「人間とは何か」の定義も変わるのではないだろうか。
未来のことはわからない。しかし、個人と社会がどのように絡み合い、どこに向かっていくのかを考えることはできる。今、私たちはどのような未来を思い描くことができるのだろうか。